モドル
(2月7日)
ボリショイ劇場で、唯一の外国人ソリストとして生きる
・・・岩田守弘35歳


外国人ソリスト岩田守弘バレエの殿堂、ボリショイ劇場で唯一の外国人ソリストとして活躍を続ける日本人ダンサーがいます。岩田守弘さん、35歳。これまで200回以上、ボリショイの舞台に立ち続けてきました。
バレエダンサーの両親の間に生まれた岩田さんは横浜出身。9歳でバレエをはじめ、19歳でモスクワに留学。モスクワ国際バレエコンクール第一位獲得など、世界の名だたるコンクールで優勝を続けました。

岩田守弘 26歳のとき、外国人としては「初めて」ボリショイ劇場のソリストに抜擢され、3年前からは名誉ある第一ソリストとして、地位を不動のものにしています。 岩田さんは、ボリショイには、世界にも稀な優れたバレエの環境があると言います。 「舞台にかける精神というのが、このボリショイのダンサーたちはピリピリしていますね。それに引っ張られるというか、それによって僕も興奮してきて、そういうときには、いい踊りができますね」

「チッポリーノ」のリハーサル稽古場にお伺いしたその日は、3日後に主役での本番を迎えるバレエ「チッポリーノ」のリハーサルの真っ最中。すでに何度も踊っている演目ですが、本番前にもかかわらず先生との確認が入念に行われていました。
その岩田さんの持ち味は、高いジャンプ力と鋭い回転力。
岩田さんが師事するアキモフ先生は、「彼の得意とするジャンプと回転は、男性ダンサーの最も重要なテクニックであり、彼はパーフェクトなのです」。
世界有数のバレエの地でその実力を認められている岩田さんですが、リハーサルでは、先生から、「もうちょっと足元の動きを鋭くしなさい」「つま先で回った後のポジションが悪いね」など、厳しい注文が次々と出され、汗だくになって稽古を繰り返します。その負けん気が、岩田さんの技術を磨いてきました。

団員たちから信頼されて岩田さんは、ボリショイでは名前の「もりひろ」から「モリ」との愛称で呼ばれ、実力を認められているだけでなく、団員たちからとても信頼されていまが、入団当初は辛いことが多かったといいます。
「よく思い返してみると、ボリショイに入団した96年や97年ごろは辛かったなぁ。役もなかなかくれなかったし・・・」「バレエだけ踊っていても駄目。すごく大切なのは周りとの交流の仕方。先生に対する接し方、日常生活での友達の接し方とか・・・そういうことをこの劇場で学んだような気がする・・・」。
ロシア・バレエの巨匠ミハイル・ラブロフスキー氏も「モリ」を高く評価している一人です。

ミハイル・ラブロフスキー氏”「モリは特異な才能があり、魅力があり、バレエに真摯に取り組んでいます。周囲からとても信頼されていて、負けん気のあるサムライの血が流れていると思います」

モスクワ生活が15年以上になる岩田さんは、外国人にとっては決して住みやすい街とはいえないモスクワが好きだといいます。
その岩田さんを支えてきたのは、妻のオリガさん。オリガさんもバレリーナで、2人には10歳と8歳の娘がいて、ともにバレエ学校に通うバレエ一家です。オリガさんは、若いころは、よく大ゲンカをしたと言いながらも、
「彼を男性として好きにならなかったら、私はロシア人を選んでいたでしょう。でもご覧のとおり、すべてのロシア人のなかで、彼だけが私の唯一愛した人です。私の誇りは、彼が偉大になったからではなく、彼のプロとしての技術が高く、完璧になったこと。それがとても嬉しいのです」と目を細めます。

妻のオリガさん2006年1月28日、バレエの本番当日。この日の「チッポリーノ」は、子どもたちに人気の演目で、開演前の客席には可愛らしい笑い声が響いていましたが、舞台裏は正反対に緊張した空気に包まれていました。メイクをしてもらいながら、身も心もどんどん主役・チッポリーノになっていく岩田さん。開演前の舞台上では、直前まで感触を確かめます。
そして開演。第一幕冒頭から岩田さんの華やかな演技が連続し、喝采を受けます。


岩田さんに多くの「ブラボー」岩田さんは、目の肥えたモスクワのバレエファンからも、その高い技術力が評価されてきました。この日の観客も、
「今まで見たことのない素晴らしいソリストですね。筋肉質で、誰よりも高くジャンプしていました」「イワタはとても力強いダンサーで、彼の演技を見ると、いつも満足します」などと評価。
終演後は、誰よりも岩田さんに多くの「ブラボー」が送られていました。


戦いに勝利した男のようにすっきりとした表情 舞台裏に戻った岩田さんは、戦いに勝利した男のようにすっきりとした表情でした。現在、とてもいいコンディションにあるという岩田さんは、
「なるべく今のように、踊りを長く続けたい。いっぱい踊りたい、いっぱい踊りたい・・・頑張らなきゃ!」と、主役の舞台が終わったばかりなのに、まだまだボリショイの舞台に立ち続けたい、という意欲を燃やしていました。

日本が誇れる世界トップレベルの邦人ダンサーがこんな身近にいたなんて。ちょっと驚きました。