バレーボール王国・北海道江別市の秘密 "世界のリベロ" 山本智大選手の父が築いた「美しいプレー」の伝統 羽ばたく未来の選手たち
■バレーボールのマチ 北海道・江別市
北海道が誇る大スター、大泉洋さんの出身地として知られる江別市。
札幌市に隣接する人口約12万人のマチだ。この江別市、バレーボール選手がとにかく多い。
パリ五輪で活躍した山本智大選手をはじめ、ウルフドッグス名古屋の渡辺俊介選手、女子ではJTマーヴェラスの塩出仁美選手も江別市出身だ。道内のクラブチームにも江別出身の選手たちが多数いる。
なぜここまでバレーボール選手が多いのか、
その裏には山本智大選手の父、山本忠文さん(64)の存在があった。
忠文さんは中学教師として江別市内で男子バレーボール部を指導していた。
山本智大選手も在籍していた江別中央中では、全国大会優勝の経験もある名将として北海道のバレーボール界では知らない人はいないほどの存在だった。
忠文さんに教えられた選手たちが、バレーボール選手となり活躍を続けているのだ。
■実は"選手経験のない" バレーボールの名将
実は忠文さん、意外にも選手としてのバレーボール経験は一切なかった。
「新冠の学校に新卒で配属されたんです。女子バレー部監督がいなくなって要請されたのがキッカケでしたね。『やるんだったら北海道大会くらいは行きたいなぁ』くらいに思っていた」
選手たちのほとんどは、監督同様にバレーボール未経験者ばかり。しかし、7年間の在籍中に、全道大会に4度も出場した。
石狩市の中学校に転勤したあとは男子バレーボール部を全道3位に。
その後、江別中央中学校に赴任し、在籍5年目で全道優勝し、ここから6連覇を達成。2001年には北海道では初となる全国優勝を果たした。
■「美しいプレー」を信じ続けた名将の教え
なぜ、ここまでの実績を残すことができたのか。
「私から見て、“美しいプレー”というのがあるんです。美しいプレーというのは、体の理にかなった自然なプレーかどうか。それを見る目は長けていたと思う。ひとつひとつプレーで、ボールをしっかり拾っていても“おかしい”と感じたりダメでも“いまのはいい”と。そういうのが私の中にある。そういう方向に指導していった」
経験がない分、自分が思う美しいプレーを見極め、子どもたちを指導してきた忠文さん。
選手たちのレベルはどうだったのか。
「普通の子がほとんどですよ。すごいなと思ったのは5人くらいですかね。渡辺俊介(現・ウルフドッグス名古屋)、東海大学付属札幌高の監督をしている松田修一。あとは息子の智大(パリ五輪代表・大阪ブルテオン所属)とか。すごい選手ってそんなにいない。未経験者もいましたから」
江別中央中は公立。様々なバックグラウンドを持つ子供たちをまとめあげ、黄金時代を築いたのだった。
「一時期は江別中央中を卒業する子どもたちが、どこの高校に行くのかで、全国大会の出場校が決まっていましたね」