【知床沖・観光船沈没事故から3年】運航会社の桂田社長は遺族にどう接してきたのか…迷った末に追悼式には出席しないと決めた乗客家族「もしかしたらという気持ちで待っていたい」
「(運航会社の社長は)自分には責任がないと言っている。そういう主張をどう考えたらできるのか」(乗客の家族)
北海道の十勝地方に住む50代の男性です。
当時7歳の息子と、その母親が観光船「KAZU I」に乗船していました。
「心の底から本当に笑えることは、もう二度とない」(乗客の家族)
3年前の4月23日に発生した沈没事故。
息子と母親は行方不明となりました。
事故の前の年の息子の誕生日を祝う映像が残されていました。
楽しげな2人の声。
今、その声を聞くことも、ともに誕生日を祝うこともかないません。
「息子の誕生日は自分にとっても大事な日なので、本当だったら2人と一緒に誕生日のお祝いをしていたと思う」(乗客の家族)
男性は2024年春、行方不明の息子の死亡の認定を自治体に申請しました。
事故の責任を問うため裁判に訴えるには、遺族となる必要があるためです。
今年3月、乗客14人の家族らは運航会社の「知床遊覧船」と桂田精一社長に対して、約15億円の損害賠償を求める訴えを起こしました。
その初弁論の日、人目を避けるように身をかがめる桂田社長。
正面玄関からではなく、渡り廊下を通って裁判所に入りました。
法廷では乗客の家族らが意見陳述し、悲痛な胸の内を明かしました。
「私はどんなに子どもを抱きしめたい、子どもと手をつなぎたいと思ってもできません」(法廷での意見陳述)
桂田社長は時折椅子にもたれ、目を閉じて聞いている様子でした。
「涙ながらに意見陳述しているのに、桂田社長は目を閉じて体を前後にゆらゆら揺らすなど、裁判が自分のことではないように聞いていた」(乗客の家族)
どんな思いで裁判に臨み、遺族の声を聴いていたのか。
桂田社長の元を訪ねましたが、問いかけに応えることはありませんでした。
「言い訳ばかりしていないで自分の責任を認めて、被害者家族に公の場所できちんとした謝罪をしてほしい」(乗客の家族)
男性は4月22日、知床の地を訪れました。
「迷いましたが式典には出ないことにしました。もしかしたらという気持ちで待っていたい。そういう気持ちでいないと自分が保てない」(乗客の家族)
4月23日、沈没事故から3年を迎えます。