創業145年 老舗として歴史を守りつつ“食”で地域づくりに挑戦 「五島軒」若山豪さん#BOSSTALK
【外食】道内で最も歴史のある西洋料理店として知られる函館のレストラン、五島軒。新型コロナウイルス感染症がまん延し、先を見通せなかった2021年、社長に就いた若山豪社長に老舗が進めるチャレンジについて聞きました。
哲学科を志望した高校時代 大企業を目指した大学時代
――小さいころから、五島軒を継ぐつもりでしたか?
幼稚園の年少さんではウルトラマンになりたくて、年中さんになると、(夢は)五島軒の社長って、ひらがなで書いてあるんですね。そういうことを言われる家ではなかったんですが、子ども心にそういうところは感じていたと思います。ただ、反抗期がありました。中学までは函館で過ごして、札幌の高校に進学しました。大学の進路を決めるとき、経済学部を選ばずに文学部哲学科に行きたくて東洋大学を志望しました。きっと家業を継ぐなら経済学部ということへの反発というか、そうしたくない何か意思があったと思います。
――大学卒業後は函館に戻ってこられたのですか?
実家のレストランは中小企業だと分かっていましたから、一部上場の大きい会社に入りたいと思いました。大学の就職担当者と相談して物流会社に入りました。
病床の祖父のガッツポーズに家業を継ごうと決意
――どういうタイミングで函館に戻ってこられたのですか?
2011年に戻ってくる前年に祖父が亡くなりました。(亡くなる前は)寝たきりで目を覚ますことがないような状態でした。私が病院にお見舞いに行くと、ふっと目が開いたんですよ。「頑張って病気を治そうね、会社は大丈夫だから」と伝えたら、祖父はしゃべることはできませんでしたが、ベッドの上でガッツポーズをしたんです。それ見てジーンときて、何とか受け継がなきゃだめだなと思い、戻ってきた感じです。
――戻ってこられて、どうでしたか?
当社はレストランもやっていますが、30年ほど前に工場を建てて食品製造が基幹事業になっていたので、工場に配属されました。
コロナの逆風で経営悪化 「チャレンジしかない」と一念発起し、社長に
――経営に入られるのはどういうきっかけでしたか?
部長、専務になり、ちょうど社長に就くときはコロナ禍があり、レストラン事業や飲食はすごくダメージを受けました。函館観光は例年、ゴールデンウィークに盛り上がります。ちょうど桜が咲く良い時期で、観光客がベイエリアや五稜郭にあふれるんです。ただ、2020年5月3日に行くと、だれも道を歩いていませんでした。こんなゴールデンウィークがあるんだなと思いました。五島軒も売り上げが下がって株価が落ちるなど、いろいろ苦労しました。どうせなら事業承継もしてしまうおうと、一念発起し、2021年に社長交代しました。とにかくチャレンジするしかない、もう後ろがなく、前に出るぞっていう気運が日本全体にあったと思います。次々と動いていく時期に承継でき、良かったです。